9月10日火曜日
今日のMボードは、先日学校だよりでご紹介した内容です。
夏休みに大牟田市内の小学校に1冊ずつ本が寄贈されました。題名は「大正期国語教育における新教育」です。著者は、白川小校区の八尻町ご出身の東和男先生です。私がまだ新任だったころ、研修でご指導いただいたことがある先生です。
その著書の中に、アメリカのパーカーストが提唱した「ダルトン・プラン」にもとづき作成された「大牟田市案」に全市をあげて取り組んだことが述べられています。
以下、東先生のご了承を得ておりますので、本文の一部をご紹介させていただきます。
「大牟田は炭鉱の町だった。大正3年から6年には、人口が2万人も増加したという。同6年には市制を施行。石炭産業の発展期であった。そんな中で大牟田プランは誕生する。」
「大牟田市案の教育について見て来た。我が郷土大牟田に、このような雄大で当時の先端を行く教育活動が全市を挙げて実践され、全国の注目を集めていたことを初めて知った。
私は昭和22(1947)年に生まれ、昭和28年に大牟田市立白川小学校に入学した。そして、4年生の2学期に不知火小学校に転校した。戦後のまだ安定していない時代である。しかし、社会科の学習には市内の先生方が作成された『わたしたちの大牟田』(4・5・6年生用)という副読本があった。手許にある本は、昭和34年度用。大牟田市小学校社会科部会の編集になるもので、発行は大牟田市教育研究所である。(略)
今思うと、『わたしたちの大牟田』の中には、「大牟田市案の教育」に燃えた大牟田市の先生方の精神と熱意が注ぎ込められていたのではないか。伝統といってもよい。私たち児童は、先生方の研究の大きな恩恵を受けていたのである。」
東先生の本を手にし、これまでの大牟田市が大事にしてきた教育が今も『わたしたちの大牟田』につながっており、大牟田っ子検定など大牟田市の取組につながってきているのだろうと感じました。まさに「まちづくりは 人づくりから」
これまでの先輩の先生方の取組を知り、大切にしながら、白川小学校の子どもたちを育てていきたいと思います。
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